【なぜかヴァイオリンに】
高橋宗久は神奈川県の平塚市に生まれました。ヴァイオリンを始めたのは、3〜4歳からだったと記憶しています。
自分からやりたかった訳ではなく、親から「何の楽器がやってみたい?」と聞かれ、『座ってできるやつ』と言い放ったのは覚えています。
そして、座って出来るのはチェロかピアノなのですが、【なぜか】ヴァイオリンを持っていました。高橋の七不思議です。
【そこそこ真面目だった小学、 サボりまくった中学時代】
小学校はそこそこ真面目でした。(イヤイヤながら)とはいえ、真面目さは「そこそこ」なので、仮病を使って保健室で寝ていたりしていました。保健室でかかっていたFMヨコハマとコーヒーの香りは、今でも覚えています。
小学生の頃、梅津南美子先生と言う私の人生のベースとなるような先生と出逢います。良い厳しさと優しさをお持ちの先生でした。
中学生になり、反動なのか………この時は一番遊んでました(笑)
それこそヴァイオリンをほっぽり出して、釣りに行ったり友達とゲームセンターに行ったりしてました。
むしろ、学校もサボって釣りに行ったりしていました。釣りバカ日誌を彷彿とさせます(苦笑)
なにせ、中学校の頃は漁師になるかどうか迷っていたくらいですから…
【何故か卒業できた高校〜大学編】
それから何とかヴァイオリンを練習し出して、東京の桐朋学園という音楽高校へギリギリで入学できて(練習してなかったから!)高校ではコンクールやら体育祭やら、普通の高校生っぽくない事と普通っぽい事を出来たのは良い経験です。
音楽高校とはいえ、普通の勉強もあります。問題は単位数…明らかに少し足りてない教科があったのに、何故か卒業出来ました。(先生の温情なのは間違いなし)
そのまま同じ大学へ進学です。大学時代も出席単位がギリギリアウトだったので、「今回は先生に迷惑かけたらいかん!」と思い、友人に代わりに返事してもらう事もしてました。(本当はあかんですけど)
【衝撃的な出逢いがあった大学院編】
大学院は洗足学園に入学し、師事する先生は梅津先生のお嬢さまでいらっしゃる梅津美葉(みよう)先生に代わりました。美葉先生にも様々な視点がある事を学んでいます。
そして【日本人で初めてベルリンフィルの第一コンサートマスター】であった安永徹先生と出会う事が出来、間違いなく私の人生は変わりました。
お陰様で、今尚とても良いお付き合いをさせて頂いております。
ここでも何とか大学院を卒業して、社会生活へと足を踏み出します。
(思えば、学生時代の全てにおいていつも単位にヒヤヒヤしてましたね)
【知り合いがゼロの社会人・九州編】
大学院在学中に、福岡を拠点にしていふ九州交響楽団というオーケストラのオーディションに合格し約2年間、福岡県に住んでいました。
初めは知り合いがゼロだったので、同僚先輩にとで気にかけて頂きました。今でも一緒に演奏したり、良い関係です。
福岡は、食べ物は美味しいし、ラーメンの屋台はあるし、お酒は美味しいし…福岡で《美味しいもの》を知る楽しさを感じました。
【そして大阪へ】
そして2012年に日本センチュリー交響楽団という大阪のオーケストラに移籍しました。
ここでも《荒井英治先生》という、とても素晴らしい方に出逢います。東京の大学で教授をされていたり、日本各地でコンサートマスターを兼任している方なのですが、懐が深く、と引き出しが多いのです!何かにつけて一緒に演奏させて頂いておりますが、その都度発見かあります。
【日本酒と出逢い、高橋宗久がサケニスト高橋になる】
お酒はそもそも好きでしたが、ちゃんと飲む様になったのは大阪に来てからです。色んなお酒の種類を試して行くうちに、日本酒の奥深さと魅力に取り憑かれました。
飲めば飲むほど面白いし美味しい!ドップリ浸かりました。そこで高橋は…
《この美味しさを知って貰いたい》
《日本酒を色々な角度から広めたい》
《日本酒で幸せになって貰いたい》
という湧き上がる想いを抑え切れず、
《クラシック業界初の日本酒唎酒師》の資格を取得しました。
こうして高橋宗久はサケニスト高橋となりました。
【飲んで口福、聴いて幸福】というコンセプトで始めた日本酒とクラシックのイベント【聴呑処】や、バーや居酒屋での演奏、もちろんホールでの演奏をして経験を積み重ね、音楽や日本酒を通してお客様に心地よい空間を提供できる事をいつも心がけながら活動をしています。